ほうざんのもしかするとためになる話

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【ブログ記事】ゴミ記事の中にもお宝が眠っているから安易に削除しない方がいいかもしれない

どうも。

 

他人にも自分にもついつい甘くしてしまうことで有名なえるこんです。

 

私は路傍の石にすぎない弱小ブロガーです。

 

この記事が私のブログにおける166記事目となるわけですが、全く稼げません。

 

ググってみると、100記事超えたあたりから収入が増えたみたいな先輩ブロガー様の記事をよく見ます。

一方で、無意味な記事を量産しても収入は増えないという記事も多くみられます。

 

つまり、私の記事はいわゆるゴミ記事の塊だということになります。

 

実際に今回の記事もゴミ記事になりうるポテンシャルしかありません。

 

そもそもゴミ記事とは?

ゴミ記事とは、ゴミの価値しかない記事ということです。つまり、PV稼ぐことができない記事になります。

 

わかりやすい例えだと、日記系の記事です。

 

有名人の日記ブログと無名の素人の日記ブログでは、前者は稼げる記事になって後者はゴミ記事になりやすいです。

 

どこの誰かもわからない人の日記に対する需要は皆無です。

 

今日すれ違った誰か知らない人の日記を読みたいとは思わないです。

 

日記だけではありません。

 

自分の意見を書き連ねた記事もゴミ記事となりやすいです。(わたしのブログの記事の大部分を占めているジャンルです)

 

有名人や名の知れた評論家の意見には耳を傾けたくなりますが、知らない人がワーワー意見を書いても誰も興味がありません。

 

ゴミ記事とは、特定のジャンルとかで発生するわけではありません。何の情報もなく、共感も得られない記事がゴミ記事となるのです。

 

ゴミ記事かどうかを自分で判断するのは難しい

自分の書いた記事がゴミ記事かどうかを判断するのは簡単ではありません。

 

それは自分の記事を否定したくないからです。

 

ネタ集めから構成まで自分なりに頑張って作った記事を自分で否定するのはつらいことです。

 

つらい以前に自分ではこのネタは面白いと思って記事を作っているので、まさか自分の記事がゴミ記事になるなんてことは想像すらしてません。

 

そうかと言って自分の記事はどうせゴミ記事とはじめから考えてしまえば記事の作成すら疎かになります。

 

このように自分の記事がゴミ記事だと判断することは客観的に見てもらわない限り、なかなかできないことなのです。

 

ゴミ記事にも存在価値はある

ゴミ記事なんて、せっかく書いた記事にゴミと名付ける訳ですから存在価値は無いのでは?と考えがちです。

 

しかし、ゴミ記事は視点を変えれば存在価値があるお宝記事になり得る可能性があります。

 

ラクタの中にもお宝が眠っている、そんなイメージです。

 

ただし、ゴミ記事がどこまでいってもゴミ記事なのでゴミ記事のPVが爆上げできるとかそういうことではありません。

 

ゴミ記事の存在価値とは、記事の中身にあります。

 

記事としてはゴミだけど、着眼点やネタは悪くないといった感じです。

 

ゴミ記事からはゴミ記事しか生まれないというリスクはありますが、ゴミ記事から良記事が生まれる可能性があるのです。

 

もし、私が書いているこの記事が多くの人に読まれることになれば、ゴミ記事から良記事が生まれたことになります。私のブログの記事は大半はゴミ記事で構成されていて、ゴミ記事について考えたときに今書いている記事を書こうと思いたったからです。

 

もし、ゴミ記事でも、中身が悪くないとか、ネタは面白いはず、といった何かしらの確信が持てるのであればまさにゴミ記事にお宝が眠っている状態なのかもしれません。

 

もし、自身のブログの中でゴミ記事だけど面白いはずだと思う記事があればリライトすることをオススメします。

 

記事のタイトルを直したらPVが増えたりすることもありえます。

 

面白いと感じる記事がゴミ記事になっている場合はリライトで改善できることもあるのでゴミ記事だからこそ、削除の前にもう一度読んでみてリライトの余地がないかを検討することが大切です。

 

ゴミ記事でも量産することは悪いことではない

ゴミ記事の量産は悪くないです。

 

もちろん、ブログの質が落ちるなんてことも考えられます。

 

しかし、ブログはとにかく記事を書かないことにはブログも自分のライティングスキルも上達しません。

 

例えば、サッカーがうまくなりたい人はサッカーボールにたくさん触れます。リフティングしたり、壁当てしたり、実践形式の練習したりとサッカーボールにたくさん触れることでサッカーの技術を伸ばしていきます。

 

これはブログも同じことが言えます。たくさんの人に読んでもらえる記事を作るためには、記事にたくさん触れないといけないのです。

 

記事をたくさん書いてたくさん読むことでライティングスキルを伸ばします。そして読みやすい良質な記事が生まれるのです。

 

サッカーの理論書だけを読みまくってもサッカーが上手くなれないように、ブログもスキルアップのテキストを読みまくるだけでは良質な記事を書くことはできません。

 

ブログで良質な記事を書くことでPVが増えて収入源になるのであれば、良質な記事を書くことは一つのゴールになります。

 

そのゴールのためにたくさんの記事を書いた結果、ゴミ記事を量産してしまったのであればゴミ記事は練習の足跡になるため決して無駄にはなりません。

 

ゴミ記事を量産して最終的に良質な記事を書くスキルが身についたとします。

 

そうなれば、量産したゴミ記事はメキメキ力をつけたライティングスキルでたちまち良質な記事へと変貌させることができるのです。

 

ゴミ記事を量産して、ブログを挫折するのであればゴミ記事の量産は意味のない行為になります。しかし、ゴミ記事を量産したけどブログは成長したと言えるのであればゴミ記事の量産は、ブログの成長過程における重要な行為となるのです。

 

つまり、ゴミ記事を生かすも殺すも自分次第ということです。

 

ゴミ記事はブログを成長させるポテンシャルの塊

ブログに限らず、何か成長したいと感じるときに大切なのはいかに失敗するかということです。

 

失敗は成功の母と言うように、失敗があるからこそ成功できるのです。

 

ゴミ記事はまさに失敗になります。ゴミ記事を持っているということは成功の素を持っているようなものです。

 

ということは、ゴミ記事はブログの成長のためには必要な存在になります。

 

ブログで失敗つまりゴミ記事を量産しても誰からも怒られることもなく、責められることもありません。その分気楽に記事を作ることができます。

 

一方で、ゴミ記事を量産しても指摘してくれたりアドバイスをもらうこともありません。

 

このことを理解していれば、ゴミ記事を書いたとしてもブログの成長段階における必要な出来事と捉えることができます。ゴミ記事には可能性しかないのです。

 

だからと言ってゴミ記事を意図的に量産してはダメです。無意味な行為です。ネタ集めから構成まで一生懸命考えて記事書いたけど結果としてゴミ記事になってしまった、というような流れはつくってほしいです。

 

最後に

失敗を失敗と捉えるかは自分次第です。

 

失敗が次の成功につながるのであれば、それは失敗ではなくなります。

 

ゴミ記事も同じです。結果としてゴミ記事を量産してしまったけど、これを糧に良質な記事を作っていくことができればゴミ記事はもはやゴミではなくなります。

 

私のような弱小ブロガーはゴミ記事に大いに悩まされますが、ゴミ記事に秘められた可能性を知ることでゴミ記事から脱却することができるのです。

 

今回の記事がゴミ記事になったとしてもというかゴミ記事になるのでしょう。

しかし未来の私のブログの成長につながるのであれば喜んでゴミ記事を作る自分を受け入れたいです。

 

それでは。