勤労感謝の日と敬老の日は紛らわしいので敬老の日を廃止にできるか考えてみた
どうも。
えるこんです。
11月は、祝日が2つあります。
そのため、自分の祖父母に何を贈ろうか本気で考えていました。
それにしても、勤労感謝の日と敬老の日はごちゃ混ぜになりませんか。
私はこれまでにも何度か間違えていました。
それだけ関心がないと言われてしまえばそうなのですが、日にちが近いというのと9月と11月と比較的期間が近いため私と同じように間違えてしまう人はいると思います。
私は、それならいっそのこと敬老の日はいらないと考えています。
今回は、その理由について書きます。
理由①老人でも働く人が多いこのご時世
そもそも敬老の日とはどういう日か、みなさんはご存知ですか?
敬老の日制定には、それなりの経緯があるはずですが、今はその部分はどうでもいいです。
なぜなら、おそらくみなさんは敬老の日を老人を敬う日だと認識しているからです。
老人を敬うとは敬老という字のそのものです。
みなさんもそれくらいの認識のはずです。
そして、実際に敬老の日に何をするかと言うと自分の祖父母やお世話になっている老人に感謝の意味を込めてプレゼント等を贈るという人が殆どだと思います。
一方で、現在の日本の労働環境は変化しています。60歳で定年という概念も無くなりつつあり、老人でも労働している人は多いです。
そのような中で敬老の日というものの存在意義を今一度考えるべきです。
理由②祖父祖母が老人とは限らない
世の中には、40代、50代で祖父母になる人はたくさんいます。
世間的には中年、壮年層ですが、孫からすれば立派なお爺ちゃん、お婆ちゃんです。
もちろん、敬老の日の対象になります。
若い祖父母の人は敬老の日にお祝いしてもらうのは癪に触ります。
様々な年代の祖父母がいるので敬老の日に老という言葉を使うのは時代に合っていないです。
いっそのこと勤労感謝の日を2回にすればいい
上記の2つの理由から、私は敬老の日はいらないと考えます。
敬老の日を設けるくらいなら勤労感謝の日を年に2回にするべきです。
老人と言っても実際に勤労している人も多いので勤労感謝の日で働く全ての人のためになるようにするべきです。
9月と11月では間隔が近すぎるので上半期と下半期に1回ずつ勤労感謝の日を制定するべきだと思います。
11月は現状のままでいいので、もう1回を敬老の日ではなくて6月に制定することでバランスが取れます。
6月は祝日がない唯一の月です。
勤労感謝の日という祝日を設けることで働く全ての人に休息を与えるべきです。
敬老の日をなくすことの可能性
私は、敬老の日は勤労感謝の日と紛らわしいので敬老の日はいらないと考えていますが、本当に必要がないのか不安になってきました。
確かに、祖父母にあたる人を一括りに老人とするのはあまり良くないです。
しかし、70代以上の人はどう考えても老人です。働いていようが毎日が日曜日だろうが老人であることに変わりはありません。
そこで、私は考えました。勤労感謝の日の意味を少しだけ変えてしまえばいいことであり、やはり敬老の日はいらないと。
今まで働いてきた人に感謝する日
という意味合いにしてしまえば、勤労感謝の日も老人を含むことができます。
働いてきた
という言葉にすれば、老人も勤労感謝の日の対象になります。
働いてきたは過去形なので、過去に働いていることを意味します。
過去が昨日なのか、10年前なのかは関係ないです。
働いてきたことに感謝すればいいのです。
そのため敬老の日をなくすことは可能になります。
結局、敬老の日は必要である
私は、勤労感謝の日を働いてきた人全てを対象にすることで敬老の日をなくすことができるといいました。
しかし、よく考えれば私の考える勤労感謝の日は無理があります。
働いてきた人全てを対象にするとは可能ですが、周りから見ても本人からしても老人となって現在働いていないのに、過去に働いていたからと言って勤労感謝の日の対象にされるのは決して歓迎されることではないです。
結局、敬老の日をなくすことは私の独りよがりになってしまいます。
少子高齢化が進む現在、老人のことを無視することはできません。
老害などと老人を揶揄する気持ちも分からないでもないですが、今の日本を作ったのは老人の世代であることは事実です。
1年に1回くらい老人を敬う日があるべきなのかもしれません。
また、現在9月の祝日は敬老の日しかありません。敬老の日が無くなれば9月は祝日のない月になってしまいます。
やはり敬老の日は必要になります。
終わりに
敬老の日は必要でした。
敬老の日をなくすということは、所詮私の甘い考えでした。
敬老の日は祝日であるので殆どの人が休日になります。
敬老の日をなくすというのは休日をなくすことにつながるので危うくブラック思想に陥りそうでした。
老人を敬うかどうかは自由でいいですが、1年に1回くらいは自分の祖父母や身近な老人な感謝し、敬うべきなのかもしれません。
そして、敬老の日が本当に必要かどうかをしるのは自分が老人になったときにわかることだと思います。
それでは。