11月20日は教師の日だという事実。教師に日頃の感謝をしましょう!
どうも。
えるこんです。
みなさんは、11月20日が教師の日であることをご存知ですか?
カレンダーを見ても11月は文化の日と勤労感謝の日だけが祝日なので教師の日を知らない人は多いと思います。
しかし、教師の日は実際に存在し、盛り上がって?いることは確かです。
今回は、その教師の日について説明します。
教師の日とは何?
先程から言っている教師の日ですが、よくわからなくて当然です。
そもそも、教師の日というのは日本の慣習ではないからです。
では、どこの国の慣習かと言うとベトナムになります。
ベトナムでは、11月20日は教師の日となっており、教師に日々の感謝をする日となっています。
日本で言う勤労感謝の日の教師限定バージョンみたいなものです。
ベトナムでは、祝日ではありませんが教師に感謝する日となっています。
教師の日は何をする?
具体的に教師の日に何をするのかと言うと、
教師にプレゼントを贈ります。
ベトナムでは、日本よりも教師への尊敬の念が強いため日々の感謝の印として教師の日にプレゼントを贈る慣習があります。
というのは、半分建前で半分本当のことです。
実際は、教師にプレゼントを贈ることで気に入られようとする魂胆があるようです。
そのため、生徒達はそれなりのプレゼントを贈ります。
教師側もプレゼントで生徒をランク分けまでとはいかないですが、接し方は変わるようです。
無論、プレゼントを用意しない生徒に対しては露骨な差別をします。
これは、ベトナムの文化であるため一概に意見を言うことは出来ません。
元々は、教師を敬うだけの目的だったのが時代の流れで媚を売るような行為になってしまったのでしょう。
日本では同じことは絶対にできない
ベトナムのように日本でも教師の日を作ってみるのはどうでしょうか?
考えるまでもなく無理です。
そもそも教師をリスペクトしている生徒は殆どいないと思います。
最近は教師に対して舐め腐った態度をとる愚かな学生が増えてきています。
教師は教師で犯罪行為をしたり、理不尽なことを言ったりします。
そんな現状なので、仮に教師の日を制定してもプレゼントを贈る生徒などごく一部になるはずです。
プレゼントしないことがカッコいいと勘違いする生徒や関心を示さない生徒が多数を占めるのでまず教師の日を制定するのは無意味です。
視点を変えて考えてみても、媚を売るような行為は日本人であれば卑しく感じるためプレゼントを贈る生徒に対して嫌な奴だと感じる生徒が多くなることが予想できます。
ベトナムでは、プレゼントを贈らない生徒はダメな生徒ですが、日本ではプレゼントを贈る生徒がダメな生徒と認識されでしょう。
国の状況が違うので立場もかなり変わってしまいます。
ベトナムでは、教師の日に伝統があるので親御も積極的になりますが、日本の親御の場合は、文句の嵐になります。
不公平とか、お金がもったいないとか、生徒あったの教師とか必ず難癖をつけます。
これは、決して悪いことではありません。日本で暮らしていればそう感じるのは当然のことでもあるからです。
日本とベトナムでは国の成り立ちや経済状況などが全く違うため文化にも大きな違いが生まれます。
そのため、日本では教師の日を制定することは不可能です。
教師に感謝することはできる
日本では教師の日を作ることはできません。
しかし、取り入れるべき要素はあります。
ベトナムの教師の日は意味合いの変化があるものの、教師に感謝をすること自体に変わりはありません。学校の先生に感謝することはいいことです。
教師に感謝することくらいは日本人でもできます。
教師全員でなくても担任の先生や部活動の顧問の先生等、必ず日々お世話になっている先生はいます。
何もプレゼントを贈りなさいという話ではありません。何気ないときに、教師にいつもありがとうと言うだけのことです。
プレゼントを贈ることだけが感謝の気持ちの表現ではありません。言葉だけでも充分に感謝の気持ちは伝わります。言葉が恥ずかしいのなら手紙でも普段の態度でもなんでも問題ないです。
大切なのは、感謝や尊敬の気持ちを持つことです。
ここは日本なので、日本らしく精神という部分に重きを置いていいのです。
学生は教師を当たり前の存在と思わず、感謝や尊敬の気持ちを持てるようするべきです。
終わりに
外国の文化を取り入れるということは簡単なことではありません。
しかし、外国の文化を知ることで自国の文化にほんの一部分だけでも反映させることは可能です。
教師の日も教師を敬うという心は日本人にも持てることです。生徒が教師に対してリスペクトできれば教師とも良好な関係が保てます。
先生に感謝を意識するのも悪くないのではと思い、ベトナムの教師の日を参考に私の考えてを展開した次第です。
それでは。